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■ 五重塔はなぜ倒れないのか?

記録によると、これまでに五重塔は倒れたことがない、という話がよく出てきます。
これが本当なら、なぜ五重塔は倒れないのでしょうか? このことを考えてみたいと思います。

心柱は 何の目的で存在するのか?

このイラストは心柱(しんばしら)を立てる様子ですが、約1,300年前に行われた掘立柱(ほったてばしら)式という方法です。

※こういう方法で建てられたのではないかとの想像図です。
 
 

心柱が立つと周りに礎石が置かれ、基壇が仮設されていきます。 こういうふうにして五重塔の建築がはじまった、と考えられています。

心柱が立てられる様子を見ると、五重塔が倒れない理由はこの心柱にあるのではないか、と思ってしまいます。
しかし、最近の研究によると、どうやら心柱はこれとはほとんど関係がない、といわれています。
※まったく関係ない!ともいい切れないニュアンスです。

それでは、心柱と塔はどういう状態になっているのかをみてみましょう。
  

この図は、五重塔の屋根を上から見た順に4枚並べたものです。

下層へいくほど屋根の面積は大きくなりますが、心柱は五重塔本体のどの部分にも触れていないことがわかります。


左図の屋根の内部を立体的に斜めからみた場合、このようになります。

各重とも建物の主要な部分は「心柱」には触れていないわけです。
これは昔、五重塔が建築されていく過程を描いたイラストのひとコマです。

中央に立っている「心柱」がどこにも触れていないことがわかります。
心柱は太い部分が約90cm、高さは約30mもあるため(法隆寺の場合)、なかなか一本の大木を用意することがむつかしいので二本をつないでつくります。

丸いヒノキを八角形に削って、つなぎ目がしっかりかみ合うように継手仕口をつくります。さらに完全に結合させるため四方から添え木をあてています。










心柱が立って一階部分が出来上がったら、その上は柱、軒、屋根などで構成されたユニットを積み上げていくわけですが、これが全部で五つ重なります。

一階は当然のことながら「床」があります。
通常の建物で「五層」なら五つの床があります。

しかし、この上のユニットには床がありません。
床という概念からこの建物をみるとこれは「一階建て」ということになります。
つまり、五階建ての塔ではありませんので「五重の塔」と呼ぶのです。
これは「路盤(ろばん)」といい心柱の最上部で外に出た部分です。

ここも心柱には触れておらず、わずかですがすき間があります。

この上には「相輪(そうりん)」が載ることになります。
五重塔には例外なくこの相輪があります。これは銅にスズを混ぜた青銅(ブロンズ)でできています。

確かに五重塔の最上部にこの相輪があることでデザイン的にも決まっている感じがします。
これは「塔」の語源となったインドのストゥーパの最上部にあるものが発展したものです。

ところで心柱がなぜ必要なのかというと、この相輪を載せるためにわざわざ大木を用意して立てられたものなのです。
はじめてこのことを知った方はちょっと意外に感じませんか?





これは日本最古の法隆寺五重塔の断面図です。ここの心柱は掘立柱、つまり土の中に埋めた心礎の上に立てられています。

その後、醍醐寺、東寺の心柱は地上の礎石の上に立てられるようになり、平安から鎌倉期になると海住山寺のように初層の梁上に立てる構法に変わっていきます。

※右へつづく



さらに時代が下って江戸後期には日光東照宮のように、心柱を塔の上から吊り下げる構法になりました。

◆右側の図は日光東照宮五重塔の断面図で、上の○印は心柱を大きな鎖で吊っている位置です。
◎中央の写真参照

◆下の○印は柱脚部分が浮いていることを示しています。
柱脚の真ん中にはダボがあり、地震や強風で揺れた時に移動しないよう床の穴にダボが収まっています。

※右へつづく


このように変化していった理由は、塔身の木材が乾燥することで建物は収縮沈下していきますが、心柱はそれほど収縮しないため、相輪の下で建物と心柱をつないでいる個所にズレが生じて雨漏りが発生し、周辺木部が腐蝕するようになりました。

それでこのズレをなくすためには柱脚を切り詰める必要があり、このことが柱脚の位置を変えるようになった理由です。

そして最後には、もう切る必要がないように柱脚を浮かせる構法に至ったわけです。







※申し訳ございません。 ただ今、制作途中です。
 仕事の合間に少しずつ内容を増やしていきますので、時々、見に来てください。









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